西村式潜水作業艇史


西村英二
 当時の日本の植民地、台湾の町工場で、一人の天才的な素人により、世界初の深海潜水作業艇が建造された。1929年のことである。
 この物語は、その人と、船の誕生物語である。

世界初の海底実況放送
 『こちらは豆潜水艇「藻の花丸」の中であります。「海の銀座通り」といわれる相模湾伊豆伊東沖の底から、前半は岩礁の南側。即ち、表曽根から、後半は北側、裏曽根から、正午をはさんで前後一時間五分にわたり、日本で、いや、世界で初めての海底放送を行います。
 陸上と違うのは滝がないだけと教えられましたが、潜航するにつれて広々とした海面では想像もできない情景が次々と現われてきます。密林のように繁茂しているホンダワラの林を通り抜けて、段々沈んでゆきます。
 大鯛小鯛が悠々と泳ぎ回っています。シマ模様の見えるかなり大きな魚もゆっくり泳いでおります。
 突然、前の方が暗くなってきました。黒雲に覆われた感じです。魚の大群です。どうやらイワシの大群の移動する中に入った模様です。様子の違う裏曽根であります。
 今、いわゆる「素もぐり」の潜水夫が一人上の万からスウーっと降りてきました。色とりどりの海草の生えた岩礁は実にきれいです。
 潜水夫が手で何か指し示しております。近づいて見ましょう。岩の間から大きな伊勢エビが見えています。触角を少しあて動かしています。
 その横の方ではタコウツボがにらみ合った形でおります。アッ、! ウツボが突然タコに襲い掛かりました。どこかに噛み付いたらしい。体をくねらせ、砂煙をあげ文字通り食うか食われるかの死闘が始まりました。


西村式潜水艇第一号艇

 一方では潜水夫のマスクの間から出る空気の白い泡が珍しいのか、アジのような小魚が恐れる様子もなく、顔の回りにまといつくので、うるさいのか盛んに手でこの小魚を払いのけている有様は、とても陸上では考えられないおだやかな光景です、、、』
 このラジオは1934年7月10日、(現NHK)静岡放送局から実況放送された。
 当日の新聞は、
潜水艇「藻の花丸」より海の神秘を探る
伊豆伊東町沖合、初島および平石島付近海底より中継、
担当アナウンサー 松隅敬三
中継アナウンサー 長笠原栄風
指導、静岡県水産試験場伊東分場長、三浦定之助
と伝えている。
 放送は11時05分より、母船「天竜丸」からの潜水艇の潜水状況、続いて潜水艇から砂底と岩礁の南側「表曽根」の実況。正午に一時中断して、13時05分からは岩礁の北側「裏尾根」の実況から潜水夫の作業状況等、そして、最後に母船上からの潜水艇の浮上を中継して終了した。
 当日天候不良の場合は翌日に順延を予定していた。しかし、当日は好天で実況放送は無事に終了した。
 この時の「藻の花丸」とは西村式潜水作業艇第一号の仮の名である。
 この船は、1929年に台湾は基隆のボイラー工場で西村漁業株式会社社長西村一松により建造された。次に同船建造までの西村一松の行跡を辿ってみよう。
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